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マイベストPRO 岐阜版にて 弊社が紹介されました!

 マイベストPRO岐阜版 アイワクリーン紹介ページ

 

【マイベストPRO 岐阜版にてご紹介されました。】

以下マイベストPROに掲載された記事になります。

 

岐阜県や愛知県で片付けや不用品回収を手掛け、貴重品などをも買い取り

 「お住まいを片付けたいといった際は私どもにお声掛けください。

とにかくフットワークの軽さに自信があります」と話すのは、

岐阜県可児市の「アイワクリーン」代表の芝田健二さん。遺品・生前整理、不用品回収、

リサイクル業などを手掛け、岐阜県や愛知県で、個人・法人を問わず年間500件以上の案件を請け負っています。

 「ご親族が急逝され、借りていた家の退去が迫られているケースもあります。

当方は、『今から3時間後に豊橋まで来てほしい』という場合も可能な限り都合を付け、

お客さまの要望に沿えるよう全力を尽くします」

 芝田さんの元には急を要する声が届き、不動産管理会社などの事業者から

「何としてもこの日までに荷物を搬出してほしい」という要請も少なくないそうです。

「『その日は無理です』と断るのは簡単ですが、当社は喜んでお伺いします。

業者は星の数ほどあり、サービス内容に大した違いはありません。

差別化を図るポイントは価格と緊急対応ができるかどうか。

安さを追求すると事業を存続できませんから、当社は迅速に駆け付けることをモットーにしています」

 地元を離れ所有者が立ち会えない空き家や

、いわゆるゴミ屋敷にも赴き、希望があれば貴金属や骨董品などの買い取りにも応じている芝田さん。

心掛けているのは、顧客との何気ない会話だとか。

 「お客さまを深く知り、思いをくみ取った上で作業に臨みたいと考えています。

雑談から入り、趣味やご家族の話、プライベートの悩みも話題に上がります。

従業員にも事あるごとにコミュニケーションの大切さを説いています」

 

家業のリサイクルショップの一助として、片付けの事業をスタート

 1995年に可児市で生まれた芝田さん。県立東濃実業高校を卒業した後は、

父親の誠さんが営むリサイクルショップに入ります。

しかし折からの不況も影響し、22歳のとき経営難に陥り、事業の大幅縮小を余儀なくされました。

 芝田さんは勤め先を変え、倉庫スタッフや営業職として働くように。

家業が気になっていたこともあり、24歳で「アイワクリーン」を立ち上げました。

「実家は古美術部門だけを残している状態でしたので、

片付けであれば『使わない陶器品がたくさんあるので引き取ってほしい』

といったお客さまのリクエストに応えられますし、父の助けにもなるだろうと踏んだのです」

 当初は業界のコネクションも知識も十分になく、「やっても赤字になるだけ」の仕事にしかありつけず、

苦しい日々が続きます。ビジネスを軌道に乗せることができず、

つい両親に泣き言を漏らしたことがありました。

 「『俺は商売の才能がない。向いていないからもうやめた方がいいのかな』と。

父からは、『お前が納得するならそれでいいんじゃないか』と言われましたが、

母には、『あんたがそんな弱気でいたら残された従業員はどうなるのか。私たちは借金があってもっと大変だったけど、お父さんは弱音を吐いたことなんてなかった』と告げられ、目が覚めました」

 翌日、芝田さんは銀行に出向いて担当者に頭を下げ、融資をしてもらいたいと談判。

無事に事業資金を借りることができ、再起に向けた第一歩を踏み出しました。

 

父と力を合わせ、地域の住まいを整え、大事な品を次の人につなぐお手伝いを

 芝田さんは商工会に入って地元の経営者と交流を図ったり、

エンドユーザーとの接点が多い企業へアプローチしたり、ネットワークを拡充。

いずれの現場にも誠心誠意で取り組み、信頼構築に努めます。

 実直な仕事ぶりに満足した顧客が知人らに紹介してくれる輪が広がり、

現在は依頼の電話が鳴りやまないほどだとか。「ひとえに、大勢の方に助けていただいたおかげです。地域の皆さまのお役に立てるよう、さらに体制を充実させていくつもりです」

 数多くのニーズに応えていく上で、目下の課題は従業員の育成。

「私が時間を割いて手取り足取り教え込むのではなく、一人一人の成長を促す意味でも従業員にある程度任せ、未来を担う若手のエースを育てていきたい」と意欲を見せます。

 今では堅調に業績を伸ばしていますが、創業時に苦境に直面した芝田さんが目標とするのは、自身の父親です。

「父は30代の頃から借金返済を続けていたのですが、父が借りたのではなく、母の祖父が残した負債なのです。

一度だけ『自己破産の選択肢もあったのでは』と聞いたことがあります。

そうしたら一言、『借りたものは返さなあかんよ』と。

父は多くを語りませんが、いつも背中を見せてくれていたのです」

 従業員を率いて事業にまい進し家業とも共同するなか、誠さんからは「健二、俺は今人生で一番楽しいよ」とうれしい言葉も。

「今後も力を合わせて皆さまの住まいを整え、大事にされていた品物を次の人につなぐお手伝いをしていきたいですね」と語ります。